Day by day, it's a good (day for) cycling
3日経って記憶が段々あやふやになってきました。熊野の後では忘却の彼方へ行ってしまうので、とりあえず手短にまとめます。
ステージ2
補給食
(カーボショッツ3本+レモン汁2個分)->ソフトフラスク×2本
ポケットに余裕があったので、何かの役に立つと思いゼリー2個追加
1周目:総合順位が下なので、後方スタート。ニュートラリゼーションが延々続きほぼ1周。最後の登りで前へ出ようとするが、集団が横に広がりふさがれる。前に出ないんだったら寄ってくるなよ。仕方なくこじ開けて出勤しました。
2周目:えしけんキャプテンの下、集団コントロール。トンネルを抜けてダムの上でFITTESの選手(アンドウ選手だったか?)が抜け出しを図る。すかさずチェック。アンドウ選手はそれでもなおスピードをあげ、後ろを気にしつつスプリントポイント手前でダンシング開始。スプリントポイントは2周目からだっけ?と思いつつ、もしそうなら2位通過か?とちょっと期待してしまった。(実際には3周目からでした)
3周目以降はきっちり3人だけがポイントを争っていた。その後6週目までは時々下がって休んだり前でローテーションしたり。そして6週目だったか、ダムを過ぎて作戦通りにみんなで前を固めてじわじわ上げて最後の坂でリーさんを発射。私はついて行かず(行けず?)、後ろの押さえに回りました。少し間は開きましたが集団は必死で追いかけて逃げは吸収されました。残念!
今気がついたんですが、スプリントポイントは7週目(60km地点)が最後でした。1周間違えた?ポイント賞狙いのチームが必死になって追っかけたので失敗したのかな?
補給周回は7週目でポイント争いが終わった直後に設定されていて、攻撃した次の周回で補給したと記憶しているので多分そういうこと。
その後は集団内にいることが多くなる。一度中切れしかかって後ろを走っていたO川さんに怒られた。
どうしても高速のコーナーリングが苦手です。チキンなもので、減速してしまいその後の一列棒状の状態で前を空けてしまう。詰めるのに無駄足を使うということが多い。対岸区間では集団の中より先頭を引いていた方が楽だったかも。先頭なら結構攻められるのですが。
10周を過ぎたあたりからCOM1の前で走ることが多くなる。このころ、えしけんキャプテンが後ろまで下がってきて、「こんなところにいたら勝負にならない。前で仕事しろ」との指示。つばさ君は上がっていきました。
その後、ダムを過ぎた区間でペースが落ちたので私も前へあがった。11周回だったのでボーナスタイムもなく最後の坂もそんなに神経質ではなかった。ゼリーを2つ余分に持ってきていたことを思い出し、リーさんに渡しました。もう1つ余分があったので他の人にも渡せたんですが、遠慮したのかな?
そして12周目の登り、ボーナスタイムが懸かっていたので集団はスピードを上げて登って行く。前の周でゼリー渡しておいて良かった~
一応集団最後尾で登りきったつもりだったんですが、登ってみると集団は分解しており最後の破片の3人組になりました。
その前の大きな破片に合流しようと踏みましたが、差は詰まらず、その直後、土砂降りになったので、安全走行に切り替えました。集団に残っていてもびびって切れていたかもしれません。
メイン集団でゴールしたかったですが、総合順位も下だったので最後のモチベーションが足りませんでした。
いまさらながら、なぜ切れたのか悔しくてなりません。もう少し粘れなかったのか。アシストしたことを免罪符にして厳しさが足りなかった。
下りで速くならなければいけない。集団の中で無駄足を使い過ぎ。
それでも今回はチームプレーができたことが良い経験です。ロードレースはレースをこなして周りを見ながら、自分の頭で考えながら強くなっていく。コーチや監督は実際の選手の走りを直には見られないのでなかなか適切な助言は難しい。それよりチームメイトからのアドバイスが重要なんですね。今回えしけんさんと一緒に走ってとても参考になりました。
私は、歳から言えばベテランですが、ベテランと呼べるだけの経験値がない。大集団が苦手なので、平坦系のレースは敢えて避けていた。TRでは苦手を克服しないと走れませんね。
いよいよ熊野ですが、苦手克服に向けてがんばります。
全然手短じゃなかったか
タナケンさん
熊野は電車で行くのでヘルメットカメラは持っていけませんがデジカメをもって行きます。
携帯の電波も届くと思うので携帯からも更新できると思います。
ステージ2
補給食
(カーボショッツ3本+レモン汁2個分)->ソフトフラスク×2本
ポケットに余裕があったので、何かの役に立つと思いゼリー2個追加
1周目:総合順位が下なので、後方スタート。ニュートラリゼーションが延々続きほぼ1周。最後の登りで前へ出ようとするが、集団が横に広がりふさがれる。前に出ないんだったら寄ってくるなよ。仕方なくこじ開けて出勤しました。
2周目:えしけんキャプテンの下、集団コントロール。トンネルを抜けてダムの上でFITTESの選手(アンドウ選手だったか?)が抜け出しを図る。すかさずチェック。アンドウ選手はそれでもなおスピードをあげ、後ろを気にしつつスプリントポイント手前でダンシング開始。スプリントポイントは2周目からだっけ?と思いつつ、もしそうなら2位通過か?とちょっと期待してしまった。(実際には3周目からでした)
3周目以降はきっちり3人だけがポイントを争っていた。その後6週目までは時々下がって休んだり前でローテーションしたり。そして6週目だったか、ダムを過ぎて作戦通りにみんなで前を固めてじわじわ上げて最後の坂でリーさんを発射。私はついて行かず(行けず?)、後ろの押さえに回りました。少し間は開きましたが集団は必死で追いかけて逃げは吸収されました。残念!
今気がついたんですが、スプリントポイントは7週目(60km地点)が最後でした。1周間違えた?ポイント賞狙いのチームが必死になって追っかけたので失敗したのかな?
補給周回は7週目でポイント争いが終わった直後に設定されていて、攻撃した次の周回で補給したと記憶しているので多分そういうこと。
その後は集団内にいることが多くなる。一度中切れしかかって後ろを走っていたO川さんに怒られた。
どうしても高速のコーナーリングが苦手です。チキンなもので、減速してしまいその後の一列棒状の状態で前を空けてしまう。詰めるのに無駄足を使うということが多い。対岸区間では集団の中より先頭を引いていた方が楽だったかも。先頭なら結構攻められるのですが。
10周を過ぎたあたりからCOM1の前で走ることが多くなる。このころ、えしけんキャプテンが後ろまで下がってきて、「こんなところにいたら勝負にならない。前で仕事しろ」との指示。つばさ君は上がっていきました。
その後、ダムを過ぎた区間でペースが落ちたので私も前へあがった。11周回だったのでボーナスタイムもなく最後の坂もそんなに神経質ではなかった。ゼリーを2つ余分に持ってきていたことを思い出し、リーさんに渡しました。もう1つ余分があったので他の人にも渡せたんですが、遠慮したのかな?
そして12周目の登り、ボーナスタイムが懸かっていたので集団はスピードを上げて登って行く。前の周でゼリー渡しておいて良かった~
一応集団最後尾で登りきったつもりだったんですが、登ってみると集団は分解しており最後の破片の3人組になりました。
その前の大きな破片に合流しようと踏みましたが、差は詰まらず、その直後、土砂降りになったので、安全走行に切り替えました。集団に残っていてもびびって切れていたかもしれません。
メイン集団でゴールしたかったですが、総合順位も下だったので最後のモチベーションが足りませんでした。
いまさらながら、なぜ切れたのか悔しくてなりません。もう少し粘れなかったのか。アシストしたことを免罪符にして厳しさが足りなかった。
下りで速くならなければいけない。集団の中で無駄足を使い過ぎ。
それでも今回はチームプレーができたことが良い経験です。ロードレースはレースをこなして周りを見ながら、自分の頭で考えながら強くなっていく。コーチや監督は実際の選手の走りを直には見られないのでなかなか適切な助言は難しい。それよりチームメイトからのアドバイスが重要なんですね。今回えしけんさんと一緒に走ってとても参考になりました。
私は、歳から言えばベテランですが、ベテランと呼べるだけの経験値がない。大集団が苦手なので、平坦系のレースは敢えて避けていた。TRでは苦手を克服しないと走れませんね。
いよいよ熊野ですが、苦手克服に向けてがんばります。
全然手短じゃなかったか
タナケンさん
熊野は電車で行くのでヘルメットカメラは持っていけませんがデジカメをもって行きます。
携帯の電波も届くと思うので携帯からも更新できると思います。
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